詩集『水を踏む』より           1982年刊

 あとがきに

 ” 私は詩集「牛」を出してまもなく、むすめに死なれた。重度の小児マヒで、

 その9歳四ヶ月の一生は苦しく、長いものだった。私は、それより先に、

 母も亡くしていたが、それもこの世に苦しむために生まれたような生涯だった。

 この二つの生老病死の痛苦を私のせいだと思う心があって、

 私は詩作をやめようとした。組合運動に熱を入れた。地質調査のまねもした。

 しかし、結局は詩から離れなかった。自分の罪深さを思うたびに、その思いを

 脱ぎすてるようにして、私は書いた。

 その折々のぬけがらが、ここに集めた37篇である。 

            …(中略)…

 私は、この10年間、物語詩を書いた。そうでないものは、たまに

 思い浮かびそうになっても、書かないようにしていた。二兎を、

 追うような気がしたからだ。 けれども、ここでも私は節を守ることに

 徹しなかった。

 産まれたがって浮上してくるものを、押し返すのはもったいない

 と思う気持ちを捨てきれないで、いつとはなしに、物語詩と並行して

 またあるときは身震いするように、あるいは脱ぐように書いてきた ”

                        と書いておられます。 


瀬谷耕作

瀬谷耕作


瀬谷耕作

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