日立のお母さんが亡くなりました

 去る8月31日、96歳で天寿を全うしました。 この写真は92歳のころ、かみね公園に桜を見に行った時の写真です。花が大好きだったおかあさん、とてもうれしそうに微笑んでいます。夫が遺影に選びました。 

 

 

 

 

その後股関節骨折などをしてからは認知症も進み、寝たきりになってしまいましたが、おかあさんは本当に頑張ってくれました。骨折で入院していたとき、窓の外を眺めながら、「雲ひとつない青空だね~」と何度も語りかけては感動していたおかあさん、空はどこまでも澄んで、緑の静かな風景が広がっていました。ふと「助けてくれなければ良かったのに、そしたらあの時死んでいたのに」なんて言っていました。家に帰ってからは、「自分で命をたつことを私はしない」、「Y(息子)のために生きる、 寂しくならないように…」とも言っていました。一人息子である夫もとても献身的に親に尽くしました。嫁の私はただ感動してみているばかりの役立たずでしたが。  

 介護支援を受けて、おかあさんの望み通り家で過ごすことができたことは良かったと思います。ヘルパーさんが朝晩来て丁寧に身の回りの世話をして下さって(お風呂も週2回、その間に体を拭いたり髪や爪を切ったりしてくれる日もありました)、 きれいにしてもっらって穏やかに療養することができました。介護の専門知識をを持った方のお世話は安心感があり、毎日来ていただくことでリズム感もあって家族もどんなに助かったか知れません。素人の及ぶ所でないところもありますし、家族だけではとても心細いものでしたから。

 

 30日、 夜11時半頃城里に、夫から「おふくろが今、日製病院にきて蘇生のマッサージを受けているが呼吸が止まったままだ」との電話がありました。「すぐに行くから」と言ったのですが、車のガソリンが少なかったので高速道路で止まってしまいやしないかと心配でした。水戸を回っても何処のスタンドもしまっていて…、でもなんとか12時半ごろ日立の家に着きました。、あがるより早く電話が鳴って、夫から、「おふくろ、臨終を告げられた後、奇跡的に息を吹きかえした。でも、医者はあと1~2日で天寿を全うするだろうと言っていた」とのことでした。 次の朝ガソリンを入れて病院に行ってみると、人工呼吸器をつけてはいるもののいつもと変わらない穏やかな寝顔でした。いよいよお別れ と思う反面、おかあさんのことだからまだまだ頑張ってくれるような気がしてきました。夫が交代して着替えなど取りに帰っている間、おかあさんといっぱいお話しました。しゃべれないけれど、聞こえているって看護婦さんが言っていたので。

 おかあさん、本当にありがとうございました。夫が病気になった時、「私が子供達の面倒をみるから東京に出てごらんなさい」と言って後押ししてくれました。そして幼かった4人の子供達を親身になって育ててくれたのです。おかげで私は好きな仕事(結婚前やっていた)につくことができたのでした。内向的で不器用な私を(絵も)、一番理解してくれていたのはおかあさんでした。 孫や曾孫達の話をするとおかあさんはいつもうれしそうです。 どんなに成長を楽しみにしていたか…。そして、お母さんに育ててもらった孫達の思いも、計り知れません…。  おかあさんは静かに涙を流していました。  

夫は「睦子を待っていたんだよ」と言ってくれました。 実はもうおかあさんの脳は壊れてしまっていて、人工呼吸器で生かされていたのだということは後で教えてくれました。

 

 薄化粧をしたおかあさんは凛として娘に返ったようでした(昔 利発な別嬪さんだったそうです)。孫や曾孫たちがこころをこめて飾ってくれたお花にかこまれて、とてもきれいでした。晩年、「お父さんお母さんが待っているから家に帰る」と言っては夫を困らせていたおかあさん、やっとお家に帰って ほっとしていることでしょう。

 おかあさんは家族みんなにとって大きな存在でした。大正、昭和のよき時代を偲ばせる豊かな感性の持ち主であり強い信念を持って生き抜いた人でした。 

お葬式の時、「夫を支え、いえ支えられですが、これからは二人で頑張っていきます。」 と、おかあさんに誓いました。

コメントをお書きください

コメント: 5
  • #1

    babaちゃん (日曜日, 06 10月 2013 21:47)

    お母様、残念でしたね。いつかはと思っていても、亡くなってみると
    存在の大きかったことに気づかされます。いい人生だったね、ありがとう、と言ってあげられるのは幸せですよ。
    元気出してください

  • #2

    むっちゃん (火曜日, 08 10月 2013 14:06)

    babaちゃん、ありがとう。
    いつかは と思っていても…ほんとうにそうですね。
    人生の尊さ、はかなさをしみじみ思います。
    頑張ります。

  • #3

    kyotonokaze (月曜日, 14 10月 2013 17:41)

    お母様よいお写真ですね。
    きっと良い人生を過ごされたのでしょうね。
    ご主人はさぞお淋しいことでしょう。
    おふたりの支え愛を大切にお過ごしください。
    ご冥福をお祈りいたします。

  • #4

    むっちゃん (水曜日, 16 10月 2013 15:37)

    京都の風さん 応援ありがとう。
    そういうふうにいっていただくと元気がでます。
    おかあさんは本当はもっと美人なんですよ。
    若い頃は踊りなどやっていて痩せ型でおしゃれだったの。
    私は若い頃の写真にしたかったんだけれど、やはり夫が
    選んだものが一番でした。

  • #5

    nonko (月曜日, 03 2月 2014 14:12)

    私はお母様の若い頃東京で踊りの発表会に
    姉と見に行ったわスマートできれいな
    お母様でしたね人はいつか他の世界に
    行くのね 悲しいわね 私にもその時が
    来るかと思うとどんな所かしら一度見に
    行きたいわ 変な所だったらやめるの
    なんて思ったりしてね