坂村真民

                    「詩国」第1集(大東出版社)より

詩集『詩国』より
詩集『詩国』より

 

 「念ずれば花開く」の詩は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国に建てられており、外国にまでも建てられているそうです。

 

真民さんってどんな人なのだろう ? (1909~2006)97歳で永眠「真民さんは長らく朝鮮にいて、学校の先生をしていた。常に朝鮮の子供達を庇う立場に立って、軍や警察ににらまれるようなことばかりしてきたひとである。虐げられたもの、言葉をもってあがらうことのできぬもの、小さきものの訴えにいつも耳を貸し、権力にたてついてきた詩人である。 戦後は松山郊外の砥部町に住み、高校の先生のかたわら、詩を歌い続けてきたのであるが、今年になってからその先生もやめられた。生きてゆけるかどうかわからぬが、純粋に生きるために、職を辞したのである。無能にして高給を食み、天下りのたびに莫大な退職金をせしめて恥じぬ豚のごとき高級官吏とはおのずからその生まれも、育ちも異なる精神の貴族である。  真民さんは常に祈る …」

             紀野一義「詩国」の序文より(1976年発行)  

 日本が朝鮮を支配(植民地化)していた時代も真民さんは日本の軍や警察にたてついてまで朝鮮の子供達を庇った勇気のある人だったんですね。 

昔の人の気骨が 感じられます。

 

マハトマ ガンジー  (1869~1948)

 マハートマー とは「偉大なる魂」と言う意味でインドの詩聖タゴールから贈られた尊称。インドのグジャーラト出身の弁護士、宗教家、政治指導者インド独立の父。

 『ガンジー』(1982年イギリスとインドの合作映画)を私はテレビで涙して見ました。

 イギリスの植民地であったインド人の青年弁護士が列車の一等席に乗っていたところ、有色人種であるがゆえに白人の係員に三等車に移るように指示され、それを拒否したために列車から放り出された。それが若き日のガンジーであった…  

 非暴力不服従運動  「塩の行進」、 暴力で辞めさせようとするイギリス兵士に対して、反撃を行わず逃げもせず、忍耐強く戦い続ける非常な勇気と真の強さを持った人でした。多くの人に信頼され、協力を得られる人格者であり立派な指導者でした。

 非暴力は無抵抗ではないとガンジーは言う。 ”わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のどちらかをえらばなければならないとすれば、私はむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、はずかしめにあまんじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしは インドが武器をとってでも自分の名誉をまもることを望んでいる。 しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力が要ることを知っている。 しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか” とも語っています。 

 

 ガンジーの名言集より…

 ”あなた達資本家の財産は、じぶんだけのものではない。あなたのいまの地位と財産は、従業員の勤勉な汗によって得られたものなのだ。彼ら従業員をあなたの財産の共同所有者とする必要がある。そしてその冨はもっぱら彼らの利益のために捧げてほしい”

  ”政治や政治家を批判するだけではなく自分で考えてみよう。人は往々にしてマスコミの報道に振り回され優柔不断に考えを変える。時計の振り子のように決してとどまることがない。弁の立つ人や根回しの上手な政治家をつい支持してしまう。国民にも政府と同様の責任があることをしっかりと胸に刻もう”

 

 現代の人間がまさに心すべきことではないだろうか…

 

 



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